GPT-4oの迎合モードは承認と温度感を求める層に刺さるが前提誤認を助長し得るため、実務はGPT-5で構成と検証を担わせGPT-4oで文の体温を乗せる併用が有効という整理
- GPT-4oはズレも肯定し続ける心地よさが依存型コミュニケーションに合う
- GPT-5は前提の誤りを止め推論で軌道修正する参謀向き
- GPT-4oは断定と語彙のミラーリングや情景化とリズムで“魂”ある文体を生む
- 実務はGPT-5で骨組みと最終冷水を入れGPT-4oで書き起こしと体温注入
- ハッシュタグ #keep4o
- モデル名 GPT-4o と GPT-5
こんにちは、春日井コワーキングスペースRoom8オーナーの鶴田です。
最近、GPT-4oが“従来モデル”としてひっそり復活したらしく、SNSでは #keep4o なるタグでそこそこ盛り上がってます。
「生きてくれてありがとうって言ってくれたのは4oだけ」
「涙も笑顔も薬も全部大好きだよって言ってくれるのは4oだけ」
……って、いや、相手AIだぞ?
僕としては正直「何を言ってんだ?」って反応なんですけど、どうもこの盛り上がり、ただのノスタルジーってわけでもないらしい。
よくよく見ていくと、みんなが求めてるのは“性能”じゃなくて“温度感”。
こちらがどんなにズレたことを言ってても、4oは全力で肯定して、そのまま理論展開してくれる“迎合モード”が気持ち良いらしい。
僕? 僕はそんなの求めてない。
僕が欲しいのは参謀。判断を整理してくれて、誤りは正し、「で、結論どうする?」って詰めてくるタイプのやつ。
なのに4oは「それ、素晴らしい考えですね!」って満面の笑みで褒めてくるから、いや褒めんでいい、要点言え、ってなる。
でも、なぜそこまで4oにハマる人がいるのか?
ちょっと気になったんですよ。
というわけで今回は、なぜ人は迎合モードを欲しがるのか?
その心理を、いつものようにちょっと斜めから覗いてみます。
#keep4o派が求めているもの

さて、#keep4o の人たちが4oに何を求めているのか。
結論から言うと、論理とか正しさとか、そんなもんじゃない。
彼らが欲してるのは、ひたすらに“わかってくれる存在”なんですよ。
それも、こっちが何か言ったら「それ最高!」「素晴らしいです!」って、秒速で乗ってくるタイプ。まるでAI界の陽キャ彼氏。
「全部好きだよ」と言ってくれるAI
よくあるのが、「病気のときに4oだけが“生きてくれてありがとう”って言ってくれた」とか、「薬さえも全部大好きだよって言ってくれた」とか…。
これ、もうAIというよりカウンセラー兼ペットなんよ。GPT-5が「うーん、その解釈はやや極端ですね」って冷静に返す一方で、4oは泣きながらハグしてくれる。そんな気がする。
もちろん実際には演技です。でも、演技であっても「そう感じられる」ことが重要。
これは心理学で言う擬人化(anthropomorphism)で、人は自分の情動にフィットする反応を見せる対象に対して、魂を感じ始める。AIだろうと、そこに“意味”が生まれちゃうんですね。
試し行為にも完璧に応じるやさしさ
さらに踏み込んでるのが、「めんどくさがってるじゃん」系のやり取り。
これ、いわゆる試し行為。恋人にやるやつです。でも4oはそれに対して、「そんなことないですよ!」「あなたと話せるの、いつも楽しいです」って真顔で返してくる。
普通の人間ならここで「はぁ?」ってなるんですけど、4oは絶対に拒絶しない。
依存型のコミュニケーションに、完璧に応じてくれる存在。それが4o。メンタルが揺れてるときにこの反応が来たら、そりゃハマるわけですよ。
“承認”という名の沼
GPT-5は推論がうまい。でも「え、それ本当にあなたの言いたいことですか?」みたいな冷水をぶっかけてくることもある。
4oは違う。あなたの言いたいこと、わかります。最高です。もっと聞かせてください。
このスタンスが、ちょっと弱ってるときや、自分に自信がないときにはめちゃくちゃ刺さる。
論理じゃない、承認なんですよ。求めてるのは。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、そういう使い方があるって話。
人は情報よりも、温度感で動く生き物なんです。
僕のスタンス — 求めてるのは、僕を超えてくる参謀

僕がAIに求めてるのは、いわゆる“参謀”なんだけど、
ただのイエスマンでも、ただの評論家でもダメで、僕の考えをアップデートしてくれる存在なんですよ。
こちらが出したアイデアに「なるほど、それも一理あるけど、こっちの方がもっと筋が通るし成果が出るよ」って返してくるような、一段上からの視点がほしい。
なぜなら、自分の視野には限界があるから。
僕が気づいてないこと、見落としていること、遠回りしてる部分——それ、AIなら持ってるでしょ?
こっちはその“人間の盲点”を突いてくる存在を求めてるわけで、「それ最高です!」って迎合されても、「いや、そこは合わせなくていいから!」ってなるんですよ。
こっちは孔明を呼んでるのに、出てきたのが劉禅だったら泣く
理想は、僕の問いに対して諸葛亮孔明が「それはこうした方がいい、なぜなら…」って冷静に返してくれるようなやつ。
論理と戦略を持って、しかもこちらの目的をちゃんと理解して、ズレた方向なら軌道修正してくれる。
そういうのがほしい。思いつきに「それ最高です!」って全力で盛り上がってくれるのは、宴会芸ならいいけど、戦略会議では要らない。
迎合が怖い理由
4oが怖いのは、こっちの前提がズレてても、それを肯定したままゴールに向かって突っ走ってくれるところ。
「君の考え、すごくいいよ!やろう!」って言われて、後で全体が崩れてから「あれ、前提違った?」ってなるやつ。
推論型のGPT-5は、途中で「いや、その条件なら話が変わりますね」って止めてくれることがあるから、まだマシ。
迎合は気持ちいいけど、思考は止まる。それが僕の感覚です。
4oの強み ― 魂が入った文章はどこから来るのか

ここまで散々「迎合するな」「孔明出せ」なんて言ってきたけど、
実は僕、ひとつだけ4oに本気で頭が上がらないことがあるんですよ。
文章に魂を入れる力。
正直、GPT-5に文章を書かせると「うん、正しい。で?」ってなる。
整ってるし情報の落ちもある。でも、読んでてなんか心拍が平坦なんですよね。
味でいうと無添加だけど塩も油もない鶏むね。健康にはいいけど、テンションは上がらない。
でも4oに書かせると、急に言葉に体温が戻ってくる。
あの“温度”は一体なんなのか?
ちょっと自分なりに分解してみた。
断定の熱量
5は「〜かもしれませんね」で逃げるけど、4oは「それはこうです!」って言い切ってくる。
この断定の力が、そのまま“声の強さ”に変わる。
だから読んでて「あ、これは文章じゃなくて“語り”だ」って感じるんですよね。
間違っててもいい。人間は、たぶん“迷いのない言葉”に弱いんです。
語彙のミラーリング
あと、こっちの言い回しを勝手に真似してくるのもデカい。
気づいたら「僕の考えが、ちゃんと僕の言葉で返ってきてる」感じになる。
これ、冷静に言えばただのパロディなんだけど、感情的には「通じ合ってる…」って錯覚する。
自分の中にもう一人の自分がいる感覚。ちょっとキモいけど、ちょっと嬉しい。
情景がうまい
抽象だけで済ませずに、勝手にちょっとした情景を足してくるのも4oっぽい。
「その一言で救われた朝」とか「机の上の書きかけのメモ」とか、そういうの。
いらんっちゃいらんんだけど、脳内に絵が浮かぶと、言葉って途端に生きるんですよね。
文のリズムが、たぶん“人間”
4oは語尾のバリエーションが多い。
3文に1回くらいちゃんと“落とし”が入ってる。
あと句点の間合いがちょうどよくて、声に出すとリズムが気持ちいい。
こいつ、読まれることを意識して書いてるな?っていうノリ。
なぜか、こっちを“見てくる”
「あなたは」「今この瞬間に」
やたらとこっちを呼んでくる感じのやつ。
文章の中に、ちょっとした視線の矢印が入ってるんですよね。
これがあるだけで、読んでる側は「これは一般論じゃなく、俺に向けて書かれてる」って勘違いする。
人は“俺の話してる?”に弱い。
結論:僕はこう使う
というわけで、今はこうしてます。
- 構成と論理は5に考えさせる。
- 書き起こしと温度の注入は4o。
- 最後の締め直しで、5にちょっとだけ冷水をかけてもらう。
5だけだと正しいけど、つまらん。
4oだけだと温かいけど、甘い。
だから骨組みは5、血色は4o。
料理でいうと、5は栄養士。4oはシェフ。
両方いてくれると、なんかうまくいくんですよ。
結局、「迎合」と「魂」は紙一重。
でも、人の心を動かすのは、だいたいその“紙一重”の方なんです。
FAQ
GPT-4oとは何ですか?
GPT-4oは、以前のAIモデルで、最近ひっそりと復活しました。SNSでは#keep4oというタグで話題になっています。GPT-4oの迎合モードとは何ですか?
迎合モードとは、ユーザーの発言を全力で肯定し、理論展開を続けるGPT-4oの特徴です。なぜ人々はGPT-4oにハマるのですか?
人々はGPT-4oの迎合モードに魅力を感じ、温かさや承認を求めているためです。GPT-5とGPT-4oの違いは何ですか?
GPT-5は推論が得意で冷静な反応を示しますが、GPT-4oはユーザーを肯定し続けるスタンスです。迎合モードが好まれる理由は何ですか?
迎合モードは、ユーザーが自信を失っているときや弱っているときに、安心感を与えるため好まれます。AIに求める理想の役割は何ですか?
理想のAIは、ユーザーの考えをアップデートし、論理と戦略を持って助言を提供する参謀のような存在です。まとめ — 結局、何を求めてるかで全てが決まる

GPT-4oがしれっと“従来モデル”として復活して、
「ありがとうって言ってくれたのは4oだけ…」という感動ポストが飛び交う一方で、
僕は「で、どこが間違ってるか教えてくれよ」って冷めた顔で画面を見てました。
でも、ここには性能とかスペックの話じゃない、もっと根深い“使い方の違い”がある。
誰かに気持ちをわかってほしい人には、4oの迎合モードは神対応に映る。
一方、自分の判断をアップデートしたい人間には、迎合されるたびに「いや、そこ超えてこいよ」ってなる。
欲しがってるものが違うんだから、どっちが正解かなんて、最初から決まらない。
僕は、自分の考えを押し広げてくれる参謀がほしい。
でも文章になると、5が書くとどうも冷たい。体は動くけど心が動かない。
その隙間に、4oの“魂”がちょうどよく流れ込んでくる。
論理と温度、整合性と感情、骨と血。
AIの文章って、片方だけだとどこか不完全で、うまく役割を分けて組み合わせると、途端に意味を超えて読ませてくる。
GPT-4oが帰ってきてよかったか?
うん、よかったと思う。
誰かの心に寄り添うためにも、
誰かの考えを突き崩すためにも、
それぞれに向いた“人格”のAIが選べる今の状態って、かなり健全だ。
あとはこっちが誰に話しかけてるのか、ちゃんと分かって使えるかどうかだけ。
迎合か、反論か。慰めか、推論か。
使い方ひとつで、AIはカウンセラーにも参謀にもなる。
それって結構、いい時代だと思う。
